創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「見えない隣人~新・熾火:エピローグ」(完)

 

「ぼくがね、」

昌行は雅実に対して、自身がなぜ小説という表現形態を選んだのかについて語り始めた。

「その頃はまだ小説という形を意識してはいなかったんだ。ただ、両親のことを何等かの形で書き残す必要があると思ったんだよ。つまりね――」

父・義和は、事業を閉じ、生活保護を受けるようになった。頼りとしていた子どもたちも病に倒れ、孫を抱くこともなく逝ってしまった。それでは義和は「負け」たのであろうか。そうではない。そのことを証明したい。それならば、義和の「勝利」を、書き綴るべきなのではないだろうか。その資格と権利が、自分にはあるのではないか。

「そんなことを考えていたことがあってね。あれこれ考えているうちに、谷中の家族史を書いてみたいと思い立ったんだ」

「それは、お祖母さまやおじさまのことも含めてなのね」

「そう。そうしているうちに、羽場さんが撃たれた」

羽場元首相の銃撃事件で、一気に宗教二世の「存在」がクローズアップされた。もちろん、当該教団に対する追求や、被害者の救済がされなければならない。しかしその一方で、宗教「そのもの」が、あたかも悪いことのように扱われるかもしれない。そんな危惧を感じていると昌行は言葉を継いでいった。

「ぼくたちは桐華教会の家庭に生まれ、育ってきた。自分のことを『桐華二世』と言って被害を訴える人もいるんだ。でも、そうした人たちと、ぼくの違いって、なんだろうね」

昌行は、さらに朋友党との「政教一致」批判に関しても触れて、この社会の人々が、桐華教会の人たちを、「隣人」として認めてこなかった、見ないふりをして疎外してきていたのではないかと語った。

「一方で、桐華教会の内部からの視線にも、問題はあったと思う。自分たちは『正しい』とすることに寄りかかるあまり、ついには対話が生まれなかったんじゃないだろうか」

「そうだね」

雅実は、両の目に涙をためていた。

「ぼくはね、桐華教会のウチとソトとか、宗教二世って呼ばれてる人たちとの間に立ちたいと思う。積極的に、エッジに立つんだよ」

エッジに立つことで、自らが通路になりたい。それを目指したい。そのためには、自らを「物語る」ことが必要なのではないか――。

「そう考えたのが先だったのか、書き始めたあとから思いついたことなのかは、もうわかんないんだけどね」

屈託なく昌行は笑った。

「だからね、雅実さん。もう少ししたら、最初にあなたに目を通してほしいんだ」

「もちろん、よろこんで。でも、私の批評は辛口なんだからね」

昌行の胸奥には、確かに「いのち」の熾火が灯っている。雅実はそれを確信できたことが、何よりもうれしく、また、誇らしかった。自分もまた、その火を絶やすまい。私はこれで、もう平気で生きていけるんだ――。そっと雅実は、昌行に手を重ねた。

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一年近くにわたり、お読みくださいましてありがとうございました。次回は「あとがき」です。本日中に公開する予定です。それではまた。