投開票日を明後日に控えた第26回参議院議員通常選挙の演説中、民主憲政党所属の羽場孝蔵元首相が銃撃され、搬送先の病院で帰らぬ人となった。2022年7月8日金曜日17時3分のことである。
「正直なところ、羽場が重ねてきた悪行の報いだと、つい思ったんだよね・・・」
雅実は昌行に対して、とっさには言葉を返すことができなかった。
「あなたには『宗教二世』って言って、一緒くたに桐華教会を非難する声がこれから高まるだろうって話もしたけど、本当のところは、そんな感じなんだよ」
「宗教二世」と冠した書籍が相次いで出版されるようになる中、2022年の年の瀬近くになって、昌行と雅実が語り合っていた。
「昌行さん、」
「何?」
「先に言ってくれて、ありがとね。私、もっとひどいこと思ってたから」
「もういいよ。そんなこと言わなくても」
「そうだね・・・」
この銃撃事件以降、昌行にはSNSを通じての「宗教二世」当事者たちとの関わりが増えるようになっていった。互いにそうだと名乗っていたり、そうした相手を探していたりはしていない。それなのに、親しく言葉を交わすようになった後になってから、宗教二世であると打ち明けられるのだ。そうと知ると、昌行からも桐華教会の会員であることを伝えずにはおれなかった。
もちろん、中には桐華教会員の家庭育ちという人もいた。非難や揶揄を込めて、彼・彼女らは「桐華二世・三世」と語っていたが、その都度に昌行は胸を痛めていた。自分は決して熱心な信徒ではない。むしろ、消極的でしかない。しかし、教会に対する非難に与することはできないし、したくもない。とはいえ、教会側の改善を望んでいる点も少なくはない。そうした心中を巡っては、昌行が語り合える相手は極めて限られていたのだった。
この国と社会では、政治と宗教を語ることが難しい。そして今、人々の心が「不寛容」に覆われつつある。他人を貶めるのに、政治と宗教の話題が向いているからとも言えよう。そうした中で、一度「弱者」との烙印を押されると、自己責任論を盾にした非難が集まってしまう。特定の教団について「カルト」呼ばわりする。または生活保護受給者や精神疾患の当事者、性的マイノリティの人々に対して非難を浴びせてやまない。そこには共通する「構造」があるのだと、昌行は直感していた。
それならば――、「弱者」の役割を押しつけられている側に自分は立とう。せめて、その間に立って、通訳をしていこう。昌行は、この数年の来し方を振り返って、そのように考えるようになっていた。
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お読みいただきまして、ありがとうございました。予定では、第五話は10エピソード程度になると考えていたのですが、次からは「エピローグ」となりそうです。今後ともよろしくお願いいたします。それではまた!