創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火Ⅱ」(01)

こんにちは。前回は連続創作「熾火Ⅱ」プロローグをお届けいたしました。今回も中心人物の谷中昌行の青年期について記述いたします。なお、記事の末尾にコメント記入ボタンを設置してあります。ご記入くださいますと励みとなりますので、ご検討ください。

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 谷中昌行と千々和雅実は、同じ桐華大学の文学部に通っていた。昌行は1982年、雅実は1985年の入学で、それぞれ社会学科と英文学科で学んでいる。昌行が4年生の時に雅実が1年生として入学してきているのだから、2人は教室で出会ったのではなかった。学科も異なるのだから、なおのことである。

 実は昌行は、大学院の入試を受けるために卒業を1年先に延ばしていた。つまり、大学5年の時に1回め、浪人してさらに2回と、都合3回を受験していた。浪人中は、タニナカベーカリーの増改築のため、大学の近辺にアパートを借りていたのだ。その生活費はアルバイトで捻出することが家族との約束だった。このアルバイト先に、大学3年の雅実が在籍していたのだ。

 昌行が抱いた雅実の第一印象は、鮮明なものとは言えなかった。このアルバイトとは、自習教材を購入した家庭の中学生をフォローアップするために行われていた、社外の講習会場での個別学習の指導だった。何人もいた女子学生の中で、雅実は決して目立つ存在ではなかったのだ。

 昌行は、国語と社会及び教務主任職を、雅実は英語と数学を担送していた。雅実は教科の実務の上では、その才覚を発揮していた。教職過程を履修していたこともあったのだが、むしろ天性のものを感じさせ、特に女子中学生たちからは慕われていたのだ。

 雅実に好意らしきものを感じていると昌行が自覚したのは、1年めの冬の講習でのことだった。一週間の予定で実施される講習の初日、雅実は講習会場への道に迷って遅刻した。その姿を、会場の窓から昌行が見つけたのだ。開始からは既に1時間は経っている。通り過ぎようとしていた雅実を、昌行はあわてて追いかけた。

 「千々和さん、どうしたの。」

 半ば問い詰めるように昌行が声をかけると、一時間は歩き詰めだった雅実が涙目で振り向いた。

 「何よ、ちゃんと地図くれないで!」

 その時昌行の胸の内で、何かがコトリと音を立てて落ちた。そう、それは確かに「落ちた」のだった。

 その日以来、雅実に対する昌行の扱いが、少しぞんざいになった。とはいえ、人前で千々和ちゃんとか、雅実ちゃんと呼ぶには、遂に至らなかった。何より昌行は、雅実の清廉さを尊敬していたし、この関係を変えてしまうことが怖かったのだ。

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いかがでしたでしょうか。今回はここまでといたします。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!

 

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