創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火」(08)

こんにちは。創作「熾火」(おきび)の(08)をお届けします。

2002年4月からの産業カウンセラー講習の途中で、昌行は学部時代の後輩だった雅実と再会します。そして、冬に資格試験が実施されました。

(23/08/19)

*        *        *

2003年2月

明けて2003年、2月に資格試験の結果が通知されたものの、昌行は合格には至らなかった。同期の受講グループの仲間は残念がり、受験資格が継続する来年の再受験を勧めてくれた。

昌行の心身の様子は、相当程度に安定しているように見えた。年末の試験に際して雅実に告げてあったように、昌行は職場に再度の復職を打診していた。今度こそは・・・。昌行には期するものがあったが、その復職の決定は、いささか拙速と言わざるを得なかった。

2003年度になって、昌行は再度の復職を果たしたが、彼を待っていたのは別のサポート窓口の対応要員としての辞令だった。昌行は、半年と経たず変調に見舞われた。その業務は、対応件数の出来高によって会社の売上げが上下する契約だったので、雇用形態を問わず、スタッフたちには、一件でも多くの対応件数がサプライ・システムズ社から強く求められていた。

昌行は、その窓口の構成メンバーの中にあっては、年長の部類だった。一定の勤続年数があり、「ベテラン」と見なされていたため、十分な事前の研修もなされなかった。

ある日、年下の上長から、対応件数のことで苦言が呈された。

「谷中さんくらいのベテランで、会社の事情もおわかりのお立場なら、対応件数に見合った給与に引き下げてもらうような打診があってもしかるべきと思うんですけどねえ」

屈辱であった。自身が新人研修を担当した相手から、そのようなことを言われるとは。この日を境にして、昌行は通勤の電車の中で、しばしばめまいを感じるようになった。通勤途上で社に連絡を入れて、欠勤を願い出ることが重なった。

さらに12月。ついに昌行は社長の安斉に呼び出されることになった。

「谷中くん、どうだろう。体調もよくないようだし、この際離職して、完治を目指してみるのがいいんじゃないかな。それが君のためなんだと思うんだけどね」

口調こそは穏やかだったが、昌行にはいわゆる最後通牒と感じられた。そうだよな、こんなポンコツには用はないよな・・・。

「お気遣い、ありがとうございます」

昌行は2004年1月末で退職した。人事に掛け合ったものの、自己都合扱いの退職でしかなかった。

実は、2003年の6月頃から、昌行は転職活動も進めていた。確かに再度の休職に入る時、「復職は完治してから」が再復職の条件だった。4月の異動については自信がない、再考してほしいと度々申し入れたものの、この復職は完治を意味しているから、是が非でも異動は受け入れてもらうと、はねつけられていたのだ。

退職が先になってしまった昌行の転職活動は難航した。そのことは、昌行をさらに蝕んでいった。

*        *        *

【24/05/17】

note創作大賞への応募のために、見出しをつけ直して若干語句を修正しました。お読みくださいまして、ありがとうございました。