創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火Ⅱ」(07)

 

こんにちは。連続創作「熾火Ⅱ」の(07)をお届けします。元同僚から、昌行のものではないかと知らされたブログの主に、雅実はメールを書きました。果たして?

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Re:おひさしぶりです。

Masamiさま、いえ、私はあなたを千々和雅実さんと確信しているのですが、いかがでしょうか? 違っていたら申し訳ない限りです。ご連絡ありがとうございました。更新をしていないブログに連絡があり、びっくりしました。でもうれしかったです。

あなたがもし、私の知る千々和雅実さんであるのなら、またご返信いただきたく存じます。ご検討ください。

ウサギの角こと、谷中昌行

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 その週のうちに届いた返信に、雅実は小躍りして喜んだ。

 「由紀江ちゃん、ありがとう! やっぱり先輩の谷中さんだったよ!」

 由紀江は安堵した。斉木との離婚の後、憑かれたように仕事に打ち込んでいた雅実には、休息も必要なのだと由紀江は考えていたからだ。

 ほどなくして雅実は、再度昌行あてにメールを送信した。

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Sub:千々和です。ご連絡ありがとうございました。

谷中昌行さま、ご返信ありがとうございました。「ウサギの角」さまが、谷中さんであって、本当にうれしいです。これからまたどうぞよろしくお願い申し上げます。

今日は少し長いメールになるかもしれません。お許しください。実は、飯田橋でお会いしていた時、私は結婚していて斉木姓でした。お伝えするタイミングを逸していて、申し訳ありませんでした。でも、今はまた千々和姓に戻ってしまいました。斉木は、病気にかかっていて、その後それが原因で離婚し、彼は今、実家で療養しています。谷中さんにお会いした時、谷中さんのご病気を他人事とは思えなかったのは、そうした事情があったからです。斉木もうつ病だったのです。講習会の同窓仲間の会でお会いできなかったのは、その問題の渦中にあったからでした。その後、ご病状はいかがでしょうか?

私はというと、お会いした時と同様に、今も神奈川でフリースクールに勤めています。結婚した後、斉木の転勤のために私も神奈川にまいりました。教職への思いは断ち難く、知人たちの勧めもあって、このスクールとの縁があったのです。神奈川に来たのは1999年ですから、早いもので、もう10年になってしまいますし、私も42歳のバツイチになったということです。

仕事は充実していますけど、ちょっと疲れることもあります。今年はちょっと涼しいのか、それはそれで助かりますが、体調にはどうかお気をつけくださいね。

こうしてお便り差し上げられることが、本当にうれしいです。また書かせていただきます。それではまた。

Masamiこと、千々和雅実

P.S. なんでまた、「ウサギの角」なんですか(笑)

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 雅実からのメールが、昌行には喜ばしかったことは言うまでもない。この後2人は、しばしばメールを交わし合うようになった。

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今回は以上となります。それではまた!

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