創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火Ⅲ」(09)

 

こんにちは。連続創作「熾火Ⅲ」の(09)をお届けいたします。今回は読書会についても継続して扱っています。

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 初回の読書会で、『ゲド戦記』第1部『影との戦い』を取り上げて好評を博したことに気をよくした昌行は、次の2013年2月の回では、岩波ジュニア新書の『正しいパンツのたたみ方』という風変わりなタイトルの著作を課題テキストとして指定した。

 「昌行さん、これ、大丈夫なの?」

 「ふざけたタイトルだと思うだろうけど、真面目な家庭科の本だよ。読めば家庭科って科目をもう一度まじめに勉強したくなるはずですよ、雅実さん」

 昌行は楽しげであった。

 「この本はね、生活における自立ってことを深く考え直すきっかけになると思うんだ。ぼくのようにメンタル病んでる人って、生活を立て直すことにとても苦労してるんだけど、その参考にもなりますしね」

 「へえ、昌行さん、高評価なのね」

 「そうだよ、これはもう名著って言ってもいいだろうね」

 著者の南野忠晴は、もともと高校の英語の教員だったのだが、朝食を抜いてくる生徒らを見ていて、生活指導を体系的に進めないといけないとして、家庭科に転じた変わり種だった。南野によれば、家庭科とは、身体の感受性を磨き、生活力を高めるための教科であるという。昌行が感じ入ったのは、まさにこうした着眼点に関してであり、精神の疾患で失調してしまった生活を再建するには有効であると評価していたのである。

 幸いにして、このテキストの読書会も、概ね好評であったと言ってもよかった。しかし、昌行の体調は芳しくなかった。もともと、うつ病患者には日照時間が減る冬の時期に体調を崩す人が多い。昌行もそれと思い込んでいたのだったが、どうやらそれだけではないと彼は感じていた。ようやくそれを言語化して、カウンセリングでも話題としたのがこの頃だったのだ。2011年3月11日の誕生日にあの震災が起きたこと、その夜に、初めて女性と肌を合わせていることなど、これらが重なったことが、この不調の原因なのではないかと、昌行はカウンセラーの浜口佳子に語れるようになった。

 もちろんそのことで、即問題が解決ということにはならない。しかし、言語化し得たことで、問題として認識できたことは間違いはないだろう。

 「谷中さん、とてもたいへんなご経験だったと思います。よく話してくださいましたね。私、思うんですけど、このことって解決とか克服とかしないといけない問題なのかしら」

 「どういうことですか?」

 「うまく言えないんですけど、それを問題として否定するんじゃなくて、抱きかかえるようにして、一緒に生きていくことも可能なんじゃないかって思うんです。結論を急ぐことはありません。しっかりサポートしますから、考えていきましょうね」

 「はい、ありがとうございます」

 この後、昌行はほとんど毎年のように、誕生日が近づくと心身の変調に見舞われることになるのだが、それを不幸とは考えてはいなかった。それは、浜口の存在があったことに起因していることは、言うまでもないだろう。

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今回は以上といたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!