創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火Ⅲ」(06)

 

こんにちは。連続創作「熾火Ⅲ」の(06)をお届けいたします。震災後の昌行と、当事者会「しずく」について、もう少し書き進めていきます。

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 《ミューズ》こと、須藤めぐみが「しずく」に参加して、2か月が過ぎた。今は盛夏である。昌行は、なおも地域生活支援センターへの通所が安定していなかったが、9月になると、その支援センターで「すっかりよくなってしまいました。もう薬もいらないだろうし、再発することもないと思うんですよね。今までご心配いただき、ありがとうございました!」と語ったという。

 「うーん。谷中さん、ホント大丈夫なんですかね」

 自身を双極性障害ではないかと疑っている吉岡が、雅実に告げた。

 「躁転してるんじゃなきゃいいんだけど・・・」と、吉岡は言葉を濁した。

 果たせるかな、好調に見えたその時期は長くは続かず、むしろしばらくぶりの長い鬱の時期が昌行に訪れた。どうやら昌行にも、躁と鬱の周期があるようなのだ。しかし今回鬱の周期に入ったのは、もう一つの理由があった。そのことは、この病的状態の周期が明けた、2012年5月の連休が終わった頃に昌行に把握されるようになった。

 自分の誕生日というまさにその日に、あの大震災が起こったことが、この2つは分かちがたく結びついてしまい、今回の鬱の周期が始まったことのほとんど原因であると、昌行には思われていたのだ。つまり、昌行には自分が生を受けた《から》あの災厄がもたらされたとの思いが、拭いがたくなってしまったのだった。しかしその思いについては、昌行からは誰にも語られることはなく、カウンセリングで話題にできるのにも、実に数年を要したのだった。

 こうして昌行には、一時的な精神的な空白期が訪れてしまった。雅実や由紀江は、そんな彼を思いやって、あれこれと関わることを控えていた。それがよかったのかもしれない。昌行が以前から継続してきたブログの執筆や、再開できて数年になろうとしている読書は、確実に昌行を内面から支えていた。

 2012年11月頃には、ようやく昌行も「しずく」の打ち合わせに、安定的に参加できるようになっていた。しかし、地域生活支援センターへの通所は止めにすることにしていた。それを告げた「しずく」の打ち合わせの席上で、昌行は新しい提案があるとしてこう語り始めた。

 「勉強会っていうか・・・、読書会ってやれないかなと思うんですよね」

 「読書会ですか? それって、本を朗読しあうの?」と由紀江。

 「いや、そうでなくてね。何でもいいんだ、何となれば、精神疾患についての本でもいいし、やさしい本を一冊決めて、みんなで意見や感想を語り合いたいんですよ。この会とリンクしてでもいいし、独立させてするのでもいいし・・・、どうだろう。今のぼくにできそうに思いますか?」

 その場に居合わせた由紀江と壮介は、興味津々といった面持ちで賛意を示した。

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今回はここまでといたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!