創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火Ⅲ」エピローグ

 

こんにちは。今回で「熾火Ⅲ」はエピローグのお届けをして、残りは「あとがき」ということになります。今までお読みくださいまして、ありがとうございました。

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 「吉岡さん、ぼくね、今度主治医が代わることになったんですよ。それでね」

 昌行が「しずく」の集いが終わったあとで吉岡に語りかけた。2014年12月のことだった。

 「次の先生には、うつ病ではなくて双極性障害として申し送りをしたそうなんですよね。それで、薬の内容も変更することにしますだって」

 「そうなんですね、治療がうまく進むようになるといいですね」

 「ありがとう、これで病識が深まるといいなと思ってますよ」

 「それにしても、診断が変わるまで時間がかかりましたね」

 「うん。これで腑に落ちることも出てくるんでしょうね」

 この診断名の変更を、昌行はむしろ歓迎していた。新しくなった診断名の双極性障害と、うまく折り合いをつけていこうと昌行は考えているのだった。

 「吉岡さんはどうなんですか?」

 「ぼくもうつ病ではないと考えてて。診断名が変わるんだったら、早くそうしてほしいと思いますよ」

 吉岡は、「しずく」や読書会に参加していることで、荘介のような知り合いもでき、以前よりは症状が軽快化しているように見えた。それは、荘介も同様であった。

 陰に陽に「しずく」を支えている由紀江は、雅実に届いた美代子の手紙の内容を知って大泣きしたという。須藤めぐみの家庭の状況は好転の兆しはないものの、めぐみ本人には、いくばくかの明るさが戻ってきているように思われた。

 雅実は、年末のあわただしさの中にあって、私は善き人々に恵まれたものだと喜びを噛みしめていた。

 仏教では、善き友人のことを「善知識」と言って尊ぶことがある。それは、成道、つまり自身の成仏を決定的に左右しさえするものだという。私はこの人たちと、共に生きていこう、共に歩んでいこう。雅実は改めてそう考えていた。

 私は、確かに一面ではこの人たちに影響を与えているかもしれない。しかしそれ以上に、私の方が影響を受けるどころか、強く支えられているのだ。この、天恵とも言うべき善き人たちと、私は生きていく。私は、大丈夫だ。

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今回はここまでです。次回には、「少し長い」あとがきをお届けする予定でいます。どうぞよろしくお願いいたします。お読みいただきまして、ありがとうございました。それではまた!