創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「見えない隣人~新・熾火:第三話」(05)

 

桐華教会の「強固な組織力」に支えられた朋友党は、結党以来、常に一定の存在感を示してきた。しかし昌行は、そのような朋友党理解を苦々しく感じていた。つまり、朋友党は一枚岩の組織政党などではない。「組織」「組織票」としてのみ朋友党が理解されていることは、そうした「組織」のその先に、一人一人の生きた会員の、個別の現実が息づいていることを見ていない、いや、見ようとしていないことの現れでしかない。昌行には、そうした憤りにも近い感覚があったのである。

会外に対しての感じ方は、しかし同時に、自身を相互理解の架け橋として位置づけたいという感覚をも伴っていた。朋友党が結党されたのは1964年11月、つまり昌行が生まれた年である。創立者は、実に桐華教会第三代会長の川合賢治であった。川合の卓越した指導性は、確かに堅固な動員力としても現れていた。しかしながら、そうした見方は物事の一面のみを捉えたものでしかなく、個々の桐華教会員たちは、号令一下で右から左へと動いていたのではない。そこには必ず、百万単位での小さなドラマが折り重なっていたはずだ。この国と社会は、そのことを見ないようにしているのか、忘れてきたのか――。昌行のこの思いは、誰とも共有されることなく年月が過ぎていった。今回の安保法制デモにまつわる朋友党批判が起こったことで、昌行はそのことを痛感したのである。

「壮介さん、ぼくは君に聞いてほしいことがあるんだ。朋友党と桐華教会のこと、ぼくの考えを話すよ」

昌行が対話の相手として選んだのは、「しずく」にあっても野党寄りの意見を持つと知られていた新田壮介だった。壮介は24歳の夏、SNSを通じて昌行と知り合い、その後「しずく」に合流した。発症した2008年からしばらくの間、コンビニの店員をしていたが、「しずく」合流後にほどなくして、市立図書館に非正規で就労した。大学では法学部で憲法を専攻していたこともあって、安保法案の議論の進み方を強く批判していたのだった。

「壮介さん、この前話してくれてた立憲主義のこと、わかりやすかったよ。この法案には正統性がないなあ」

「そうなんですよね。じゃあ、なんで朋友党はこの法案を支持してるんですかね? 桐華教会は、戦争することを認めたんですか?」

「いやいや、ごもっともだよ。返す言葉がないね」

昌行は小さくため息をついた。

「桐華教会の中にも、昌行さんのように反対してる人がいて、ちょっと安心しました」

「ありがとう。でもねえ、この法案は可決されるんだろうな」

「昌行さん。昌行さんのような立場を取るのって、しんどくないですか」

「そうだねえ」

この法案の推移だけでなく、須藤めぐみが直面していた離婚の問題など、昌行が気にかけていた問題は少なくなかった。こうしたことは、「しずく」に集まる参加者たちの精神衛生に、多少なりとも影響を与えているからだ。昌行は、このように壮介との対話を進めていくことで、いささかなりとも自らの落ち着きを取り戻そうとしていたのだった。

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(05)はここまでといたします。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!