創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「見えない隣人~新・熾火:第二話」(01)

 

今までは、春だけでも早春とか晩春、夏にも初夏や盛夏といった、細やかな変化があったのに、そうした変化に乏しくなると共に、年々春や秋が短くなると昌行は感じていた。これが気候変動なのかと感じながら、昌行はブログの原稿を用意していた。昨夏行われた参議院選挙の選挙運動期間中、政権与党の民主憲政党の羽場孝蔵元首相が殺害された事件は、政治と宗教、あるいはカルト教団の問題として、一気にクローズアップされた。容疑者の高根裕二が、キリスト教系の新興教団・ヒカリ連合の二世信者であったことから、とりわけ「宗教二世」というワードが浮上し、また、ヒカリ連合と民主憲政党との関係も取り沙汰されるようになっていた。

昌行は、もちろんこの事件に関心を寄せていたが、彼もまた、桐華教会の二世信者であり、桐華教会を主たる支持母体としている朋友党が連立与党として政権に参画していることから、「政治と宗教」の問題が、やがて近辺に及ぶようになることを懸念していたのであった。

桐華教会の会員であるとはいえ、昌行は連立政権を積極的に支持しているわけではなく、むしろ批判的な立場を取っていた。そうした批判的な姿勢は、桐華教会による支援活動についての疑問として現れ、特に2015年の安保法制問題について、朋友党が賛意を示したことで一層強いものとなった。

その一方で、桐華教会が政権与党を支持していることに対して、政教一致であるとか、政教分離原則に反するとの批判については明確に否定してもいた。信仰の有無によって政治的意志の表明ができなくなるのであれば、それは信仰を持つ者の参政権の侵害に当たるだろうというのが、昌行の持論であった。

しかしながら、羽場元首相が殺害され、「宗教二世」や「カルト」といったことが、「問題」として扱われるようになると、その火の粉が周囲にも及ぶのではないかと、身をこわばらせていたのである。昌行には、あたかも「宗教一般」を、世間は「悪いこと」と見なしているかのように思われていたのだった。そうしたことを、峰子や滋らと語らうことができていなかったことも、ある意味で昌行の孤立感を強めるように作用していた。

そういった状況について理解を示していたのは、千々和雅実や中井由紀江らである。ことに、桐華教会の会員ではない中井が示す理解は、昌行にとってはありがたいものだった。

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今回は、まだ「書き出し」なので、ここまでとします。お読みくださり、ありがとうございました。それではまた!