創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「見えない隣人~新・熾火:第三話」(04)

 

2014年から2019年にかけて、須藤めぐみがODを起こしたのに続いて離婚に至ったこと、昌行を通して垣間見えた「政治と宗教」の問題、そしてコロナ禍と、深刻な存立の危機が次々に「しずく」を襲った。しかしそれらを、再結束の契機として捉え返すことを常に訴えていたのが昌行だった。昌行は「しずく」と併行して、読書会をオンラインで実施することの試行を重ねていたのだが、その経験と思索がこの危機にあって活かされることとなった。つまり、「しずく」をオンライン展開させることで、全国へ広げることへと編み変えていったのだった。昌行にそれを可能とさせたのは、彼の率直さゆえだったのではなかろうか。

「羽場は辞めろ!」コールと共に、安保法制反対のデモが国会を取り囲んだのは、2015年の夏のことだった。与党として政権に参画している朋友党に対して、この時昌行は両義的な感情を伴っていた。そもそも「平和と福祉の党」としてスタートしていたはずの朋友党が、重大な基本政策の大転換にコミットしたことを、彼は苦々しく思っていた。集団的自衛権の行使を合憲とするこの政策転換は、日本が戦争にまきこまれる、あるいは、戦争をする国家へと変貌させかねないものだったからだ。そのことに異を唱えるのはもちろんであったが、朋友党の判断次第では、この政策転換を葬り去ることは可能であった。実際、昌行はそれに期待していた。

この年51歳になっていた昌行は、近しい知人たちには、機会を捉えて桐華教会員であることを明かすようになっていた。その桐華教会こそは、朋友党の支持母体であったため、朋友党の政策転換は、桐華教会がそれを是認していることと、ほぼイコールの関係であると世間では理解されていた。つまりここでは、集団的自衛権を是認して安保法制に賛成するということを、桐華教会が是認しているという「等式」が成り立っていたのである。平和と文化、そして生命の尊重をうたっていると主張する宗教団体の桐華教会が、戦争を可能とする法案を支持するのかという批判となることは明らかだった。昌行にとっての痛恨事とは、まさにこの点にあったのである。

当事者会「しずく」にあって、この点を突いてきたのが30歳になる新田壮介だった。しかし昌行には、壮介のこの清潔さが好ましく思われていたので、その批判ないし非難を甘んじて受けることにしていたのだ。

それと同時に昌行は、桐華教会の地域組織からは少しずつ距離を取るようにもなっていった。朋友党への批判が、一人一人の桐華教会員に直に向けられることには、さすがの昌行でも耐え切れなかったからである。

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(04)はここまでになります。(05)以降をお待ちくださいますと幸いです。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!