創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「見えない隣人~新・熾火:第四話」(01)

 

東日本大震災から三か月が経った2011年6月、中井由紀江に促されるようにして、須藤めぐみは「しずく」の見学に訪れた。9月には4歳になるという英(すぐる)の母のめぐみは、産後の不調が長引いたものと考えていた。

2003年に高校を卒業しためぐみは通学制の大学へは進まなかったが、英米の児童文学に関心を持ち続けていたので、通信制の児童学科を利用していた。就業先で知り合った7歳年上の須藤正樹に強く乞われ、2005年4月に結婚、22歳になった2007年9月に長男の英を授かっていた。

夫の正樹は、よくめぐみを愛しており、学業への理解も深かった。しかしながら、英が生まれた後に不調が続くようになると、めぐみへの不満を募らせるようになっていった。それを感じ取っていためぐみは、容易には回復の軌道に乗ることができず、悩んでいた頃に由紀江と「しずく」の存在を知ったのだった。

正樹の不満の原因は自分にあると考え込んでいためぐみだったが、「しずく」の人々の歓待もあって、次第に本来の聡明さを取り戻しつつあった。

「あの、今度『ゲド戦記』で読書会されるんですよね?」

2012年、震災後の不調からようやく抜け出すことができた谷中昌行が提案した読書会の開催は、間違いなくめぐみの心に明かりを灯した。

「年明けに開こうと思っています。須藤さんもいらっしゃいますか?」

「いいんですか! よろしくお願いします!」

読書会への参加をきっかけとして、めぐみは「しずく」にあって存在感を示すようになっていったが、それがめぐみに順調な回復に直結したとは言い難かった。

めぐみが、夫となる正樹と知り合ってから10年近くになろうとしていたが、正樹が愛していたのは、実にめぐみその人だったのではなく、めぐみの示してきた才覚であった。確かに正樹によって、めぐみは文学的な資質を開花させようとしていた。正樹にとっては、それは何よりも誇らしく、何よりも喜ばしいことであった。

しかし英を授かった後、自らの資質を伸ばすことよりも、英を育むことをめぐみが優先するようになると、正樹には英の存在が、次第に疎ましく感じられるようになっていった。めぐみはそのことを鋭敏に感じ取ってはいたものの、むしろそう感じていたがゆえに、無意識に押し殺そうとしてしまったのだった。めぐみの不調とは、そのことが原因の一つであったと言わざるを得なかった。

やがて正樹は、その愛情を新たな対象(ピグマリオン)へと注ぎ始めるようになった。めぐみはこの時以降、自分が直に愛されていたのではないことを少しずつ自覚するようになる。そして2014年1月、処方されたばかりの薬を、一時に残さず飲んでしまったのである。

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第四話(01)はここまでとなります。お読みくださいまして、ありがとうございました。次回の(02)を近いうちにお届けいたします。それではまた!