創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「見えない隣人~新・熾火:エピローグ」(01)

 

「フィンランド?」

「そうよ、昌行さん」

雅実から持ちかけられていた相談事を、由紀江はつい昌行にも漏らしてしまった。2023年6月に、オープンダイアローグ発祥の地・フィンランドへの視察と研修が行われることを聞きつけた雅実は、参加について先に由紀江に相談していたのだった。昌行には経済的な心配をかけたくはないとの配慮からであった。

「お金のこと、心配してるんでしょう? それくらい何とかしますから、行かせてあげてください」

「ありがとうございます。『しずく』にとってもいいことですしね」

約10年を経て、コロナ禍という大きな試練に直面した「しずく」は、実のところ、由紀江や雅実、昌行らが個々人における研鑽で、辛うじて命脈を保っていたのであったが、そのコロナ禍の頃から急速に注目を集めるようになっていたオープンダイアローグには、それぞれが関心を持っており、とりわけ雅実は導入について積極的であった。

「まあ、国内でも研修はないわけじゃないんですけど、ちょっと思い切ってみようとね。私は国内の研修でもいいんですけど、雅実ちゃんには本場の空気を吸ってもらおうと思ったんですよ」

「6月ですか・・・。いや、由紀江さん。ありがとうございます。雅実さんもうれしいと思います」

「昌行さんがOKなら、決めちゃいますね。そう言えば昌行さん、お引っ越しのことはどうなるのかしら」

「もちろん断ります。母と弟だけで転居してもらいますよ」

「そうですよね。よかったわ」

谷中峰子が応募していた公営住宅に当選したことで、昌行は峰子から同居を頼まれていた。しかしながら、昌行にはそれまでに築いてきた生活のパターンが壊されることを懸念して、その依頼を断っていた。

「英くんは、4月から高校生ですよね。普通校に通うんですか?」

「そうなの。めぐみさん達は、『ステップ』でお世話になりたいって言うんだけど、私が身近な人にうまく接することできるか、心配なんです」

「難しい問題ですね・・・」

英には、実父・正樹との関係から、いささかの身体症状を呈していた時期があった。母のめぐみが薬物の過剰摂取を起こした後、それが顕著となっていたが、近年では落ち着きを取り戻している。とはいえ、普通校での生活のは、やや難があるかもしれない。それをめぐみは懸念していた。そのめぐみは正樹との離婚が成立した後にも心身の不調を訴えることがあったが、吉岡啓がよくサポートしていたのだった。

「こんにちは。あ、昌行さん、来てたんですね」

「おお、壮介さん、久しぶり。仕事どう?」

「何とか更新できそうです。図書館勤務って言っても、非正規ですからねえ」

昌行の周りには、小さな前進を重ねている人たちが集っていた。昌行は、それを自らの幸いと感じていたことは、言うまでもない。

*        *        *

やはり、今回からは「エピローグ」といたしました。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!