創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「見えない隣人~新・熾火:第二話」(05)

 

父・義和が逝いた時に駆けつけた三人のおじ・おばのうち、二人は病床にあり、もう一人は既に亡い。転居問題に際して、意見に齟齬があったとはいえ、母の峰子は健在で、非常にしばしば桐華教会の地域の集会に参加できていることは、感謝すべきことなのだろう。2019年末からのコロナ禍のために見合わせていた当事者会「しずく」の対面開催について中井由紀江に打診した際に、感慨深く昌行は語った。

東日本大震災の前年に設立をみた当事者会「しずく」は、この2023年には早くも設立13年を数えていた。一部の心ない参加者らによる「荒らし」や、それに伴う分裂の危機などがあったものの、それらは健全な新陳代謝として作用してきた。東京圏で暮らしていた設立時のメンバーたちは、ゆるやかだが、確かな関係を育てあっていた。

「昌行さん、啓(ひらく)くんが相談したいことがあるって言ってたわよ」

「あぁ、ぼくも聞いてます。何でも、やりたいことがあるので、別団体を作りたいって言ってたけど、そのことかな」

「えぇ? そんなこと言ってたんですか? じゃあ、あのことは本人から話してもらうのがいいかな」

「なになに、それじゃあぼくは蚊帳の外みたいじゃないですか?」

やはり昌行さんは気がついてなかったんだ。由紀江は昌行の微笑ましい「鈍感さ」については口にしないままでいた。

「で、その別団体って、どういうことですか?」

こう由紀江が切り出すと、昌行は案の定嬉々として語り始めた。吉岡啓が言うには、「しずく」とは別立てで音声SNSを通じて、いわゆる「宗教二世」のネットワークを模索してみたいとのことなのだ。「しずく」が稼働し始めた頃に30歳だった吉岡は42歳になっていた。もはや吉岡も、「しずく」には欠くことができない存在であった。どちらかと言えば理論家肌の吉岡は、支援職に就くための独学を続けた末に、就労を勝ち取っていた。そんな折り、あの羽場元首相銃撃事件が前年の2022年7月に起こった。

いわゆる「こころ」の課題に取り組んでいる人たちは、政治や経済の問題や、事件・事故について、自分の心の平静を守るため、注意深く遠ざけていることが多かった。当事者グループの中では、特に「政治や宗教の話」についてはご遠慮くださいと、積極的にうたっている所もあった。しかし今回の銃撃事件は勝手が違っていた。宗教二世という問題設定が呼び水となり、宗教虐待やネグレクトの問題を、「私もそうだった」と言って語る者が、思いがけずいたのである。それは「しずく」とは離れた所で、深く確実に広がっていた。吉岡啓もまた、そうした宗教二世問題については当事者意識を持っていた。より正確には、「持たざるを得なかった」のであった。

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