創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火」(09)

こんにちは。創作「熾火」(おきび)09をお届けします。再度の復職に際して命じられた異動のストレスが引き金となって、昌行は心身の調子を再び崩します。そして、遂には退職に至りました。

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2004年2月

谷中家にあって、昌行は三男一女の長男であった。既に病を得ていた次男の昇、デザイン系の専門学校を卒業して、雑誌広告のレイアウトをしていた妹の咲恵、さらに末弟の滋があった。昌行が職を失った2004年2月には、滋は妻・由美子と住んでいた。また義和の母・光江は施設にあった。

タニナカ・ベーカリーと、併設されたカレー・ショップの経営は芳しくなかったものの、綱渡り的に営業は続けられていた。この両店舗は、義和・峰子夫妻と、弟・滋に加えて、アルバイト学生で切り盛りされていた。滋の妻・由美子も勤務の傍らで様々なアイディアを捻出して経営をサポートしていた。

しかし、昌行は自身の病のために、その「蚊帳の外」にあった。そのことは、昌行を疎外されていたことを意味している。義和に頼まれて返済資金の一部を用立てた日から、いつしか6年近くが経っていた。

弟の昇が、どうやら統合失調症であるらしいことが否定し難くなっていたのもこの頃だった。当時はまだ「精神病」「精神分裂病」と言われていたが、やがて呼称が「統合失調症」と変わることを、昌行は情報として既に得ていた。昌行ができる家族へのサポートは、主にこの側面に集中していた。

谷中家の人びとがある種の限界を自覚したのは、2004年の秋だった。奇行が目立つようになっていた昇が、誰か俺を止めてくれと大声を上げながら、4階の窓に向かって突き進んでいったのだ。その場に居合わせた滋が羽交い締めにして事なきを得たが、昇の自宅療養は、これ以上続けることはできないと、誰もが思った。幸い、由美子には看護師を務める妹があった。その彼女の助言もあって、昇は精神科に入院することになった。皆が疲弊していた。そして翌2005年、光江が逝いた。

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【24/05/17】

note「創作大賞」応募のため、見出しをつけ直した上で、若干語句を修正いたしました。最後までお読みくださり、ありがとうございました。