創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「見えない隣人~新・熾火:第一話」(05)

 

実父や前夫であった政純の納骨を、政純の弟である義和を「本家」と言って押しつけようとしている昌行のいとこ・聡子、その母の敬子、祖母のヨシ。口数が少ないままの義和。昌行はいたたまれなかった。厚顔とはこのことだ。故人を何だと思っているんだ。

さらに後年、義和の葬儀に際して、仕事の合間だからなのか、業務用車両で乗り付けてきた聡子に対しても、何という非常識かと昌行は思ったのだ。政純さん、あんた、娘の育て方を間違えましたね――。

実はこの頃から昌行には、ある疑念が生じていた。谷中家の過去帳に記載されている女性の名前である。それは確か、昌行の祖母であり、義和の実母であった光江とは姉妹だったと聞き及んでいた。ことによると、政純はその女性を母として生まれていたのではなかったか。つまり政純と義和は、異母兄弟であり、それゆえ政純は「冷遇」されたのではないか。政純は、義和に次ぐ「二番手」ですらなく、ベーカリーの2号店を雄造が出した際に、「三番手」扱いされていたのではないか。そう考えると、辻褄が合うことが多い、いや、多過ぎるのだ。

ベーカリーの2号店は、店舗兼住居として新築され、そこには雄造一家が住まわっていた。しかし、政純はその近隣のアパート住まいだった。そうした事どもに、昌行は思いを巡らせた。「本家」と敬子らが言うときに交じる当てつけがましさは、そうした仕打ちを受けていたことゆえと考えると、むべなるかなと昌行は思ったのだった。

田中美津子と夫・伸之が前後して死去していたことで、昌行らの兄妹たちに遺産の相続のが降って湧いた時に、その疑問は疑問ではなく、的確なものであったことがわかった。つまり、山永司法書士が作成していた家系の書面に、政純の母の名が明記されており、彼女の死後、光江が谷中家に迎え入れられていたことが、昌行にもようやく理解されたのである。

昌行は、谷中家の闇を垣間見た思いに囚われた。義和がタニナカベーカリーを改築した時も、さらに遡って自分が四年制大学に進学した時も、明らかにやっかみを含んだ冷ややかな視線を感じていたのは、こうしたことによっていたのか。いとこ連中の結婚の連絡も来なくなるのも当たり前かもしれないな。昌行は、山永に相続放棄の意思を伝えるための書類を用意するために、地域センターへと向かっていった。峰子と昇の引っ越しと、自身の誕生日を間近に控えていた、2023年2月のことであった。幸いなことに、昌行や昇、峰子らは、健康上の問題を抱えることなく、過ごせていた。これも幸福と言うんだろうな――。昌行は、歩を早めていった。

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今回はここまでといたします。次回からは、「第二話」を始める予定です。どうぞよろしくお願いいたします。お読みいただき、ありがとうございました。それではまた。