創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火」(16)

こんにちは。連続創作「熾火」の(16)をお届けいたします。とうとう昌行の父・義和は逝きました。そして、葬儀の日となり・・・。

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 斎場には主として親戚筋の者たちが集まってくれていたが、それ以外では、控え室が用意できない事情を話して帰ってもらうこともあった。

 遺骨を収めた後で、関係者たちはタクシーに分乗して桐華教会の地域施設へと向かった。「送る会」の会場には、斎場への来場を遠慮してもらった教会や商店街の知己が、既に集っていた。

 「あとはよろしく頼みます。」

 峰子は昌行に耳打ちした。

 遺骨や遺影を会場の前方に配すると、「送る会」が始まった。始めに故人を送るため、法華経の一部が読誦された。教会は仏教系の団体だが、僧侶の姿はなかった。友人同士で一切が執り行われるようになったのだ。何人かが挨拶を述べた後、最後に遺族を代表して、昌行が語った。

 「本日はお暑いところ、父・義和のためにこうしてたくさんの皆さまにお集まりいただき、本当にありがとうございました。母・峰子に代わりまして、私・昌行が一言御礼のごあいさつを述べさせていただきます。

 ご承知おきのとおり、私どもはタニナカベーカリーの店を畳んで、昨年より福祉によって生活をするようになりました。また、義和には4人もの子がありながら、遂に孫を抱かせることは叶いませんでした。しかしです。そのことは、義和が幸せではなかった、負けであったということを意味するものでしょうか。私はそうは思いません。

 入院して3か月の間、義和と峰子は何に追われることもなく、夫婦水入らずの時間を、ほとんど初めて過ごしていました。また、手術のあとも、全く苦しむことなく、極めて穏やかに逝きました。そのことは、義和は勝ったのだということの証しなのだと、私は確信しております。

 この父の姿が示してくれたものは、人間は人生を諦めて、負けを認め、受け入れることがない限り、人としての尊厳を失うことはないという、厳然とした事実だと思います。父は満足して霊山へと旅経ちました。日蓮大聖人からも、お褒めをいただいているものと思います。

 皆さま方に置かれましては、どうか、晴れやかに父を送っていただき、今後も変わらぬご指導を私ども谷中家にいただけますよう、心からお願い申し上げ、あいさつとさせていただきます。」

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 人びとが掃けたあと、滋が昌行に語りかけた。

 「愛知の連中が、いいあいさつだったとすごくほめてたよ。いつ原稿書いたんだよ。」

 「いや、書いてなんてないよ。その場で思いついたことだよ。」

 「マジか。かなわんなあ。」

 「何泣いてんだよ。」

 「泣いてねぇよ。」

 滋は微笑んだが、その目には光るものがあった。もちろん、昌行も涙声だった。

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今回はここまでといたします。お読みくださり、ありがとうございました。それではまた!

 

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