創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火Ⅲ」(02)

 

こんにちは。連続創作「熾火Ⅲ」の(02)をお届けいたします。昌行の誕生日である3月11日、雅実は昌行の部屋を訪ねることになりました。しかし――。

◇       ◇       ◇

 「今日はどんなプログラムだったの」

 「アンガー・マネジメントの初歩について。怒りを抑えることが、マネジメントの目的じゃないらしいんだよ。むしろ、正しく怒ることが大事なんだってさ」

 「どういうことなの」

 雅実に、このアンガー・マネジメントの知識がないはずがない。昌行が興味を持って話していることが、雅実にはうれしいのだ。

 怒りの感情につながる事実があることを正しく伝え、相手との共通の利益を見出そうとするコミュニケーションがその本質と理解したつもりだと、昌行は語った。昌行はしばしば、聴いたことに自分の意見をプラス・アルファして理解している。雅実には、そういった点もまた、昌行の美点であると思われていた。

 「雅実さん、お腹空いてない。それとも、近くでお茶とケーキとかにしようか」

 「それなら、どこかで買って、昌行さんの部屋で食べませんか」

 「じゃあ、まだ行ったことのない近くのケーキ屋さんで買っていこう」

 最寄り駅から岸野ハイツまでの間に、その「ボレロ」という小さなケーキ屋はあった。いくら甘いものが好きだとは言え、50歳が近くなった昌行が、ボレロに入るには抵抗があった。以前からこの店を利用してみたかった昌行には、格好の理由が見つかったことになる。

 店内では、予想していたより高めの価格設定だったことも手伝っているのだろうか、何を選ぶか決めかねている様子の昌行をよそに、雅実がてきぱきと4つのケーキを決めた。

 「どれもおいしそう。ごめんね、勝手に決めちゃった」

 昌行も雅実も、アルコールを苦手としているので、飲み物はペットボトルの麦茶とインスタントコーヒーということにしてあった。

 「あら? わりと小ぎれいにしてる。がんばったんですね!」

 「ごめん、これが限界だったよ」

 そう言って昌行が笑った。2011年3月11日金曜日、昌行は生まれて初めて、女性と2人だけの誕生日を過ごすことになったのだ。

 「去年サントリーホールで聴いた曲のCDあるんですよね。また聴いてみたいんですけど」

 「ヴァイオリン協奏曲でいいのかな。」

 右も左もわからないというのに、ただ昌行のためにと入手したチケットで聴いたチャイコフスキーは、雅実の心を捉えたのだ。それを知って以来、昌行は曲目と演奏者を雅実向けに選んでCDの貸し借りをしていた。

 「ケーキ、先にいただこうか」

 ケーキとグラスをテーブルに並べ、麦茶をグラスに注ぐ。

 「今度も日本人女性のヴァイオリン奏者だよ。五嶋みどりさん」

 「昌行さん、お誕生日おめでとうございます」

 「ありがとう。さ、食べて」

 「うん」

時計が午後2時40分を指そうとしていた――。

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今回はここまでです。お読みくださいまして、ありがとうございました。

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