創作シリーズ「熾火」

敗れざる者の胸奥に灯る《いのち》の灯り――。

創作「熾火Ⅲ」(03)

 

こんにちは。連続創作「熾火Ⅲ」の(03)をお届けします。雅実たちは昌行の部屋で誕生日を祝います。しかし――。

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グラスが倒れて飲み物がこぼれた。書架の上から空の段ボールが落ち、ガスも止まってしまった。東京でこんな揺れがあったという記憶は、昌行にはない。2011年3月11日14時46分、宮城県牡鹿半島沖を震源とする、のちに東日本大震災と称される地震が発生した。この震災は、死者・行方不明者が2万2千人を超えるという大惨事となった。

テレビでは、波に追い立てられる自動車の映像が、繰り返し流れている。雅実はテレビに映し出されたその同じ自動車に向かって、「逃げて、逃げて」と祈っていた。一方で昌行は、次第に冷静になっていく自分が不思議でならなかったが、なぜか雅実を無事に帰宅させることが先決だと考えていた。

やがて首都圏の交通網も麻痺していることがわかってきたので、予約していたホテルに向かうことは取り止め、今夜は雅実を宿泊させることに決めた。

その翌日には、当事者会「しずく」のミーティングを開く予定でいた。中井由紀江から、雅実の携帯電話に着信があった。

 「よかった、つながって。雅実ちゃん、無事よね」

 「うん、由紀江ちゃんも大丈夫?」

 「うん。後で昌行さんにも連絡するけど、明日どうしよう。私は延期にするのがいいと思うの」

 「そうだね、明日は止めにしようよ。詳しいことはまた3人で会って決めよう」

 「昌行さんにはどうする? 雅実ちゃんが連絡したいよね」

 「ありがとう、そうするね」

 「よろしく言っておいてね。何かあったら、連絡ちょうだいね」

 しかしこの時にはまだ、災害の規模を知る由もなかった。ましてや、福島第一原子力発電所で、未聞の事故が起ころうとは、誰が想像できただろう。雅実も昌行も、ただ目の前にいる人が無事であることに、胸をなで下ろしていたのだった。

 そしてその夜、2人は初めて肌を重ね、互いが生きていることを確かめ合った。

 「雅実さん、びっくりしないでほしいんだけど、雅実さんはぼくの初めての女性なんだ」

 「本当に私でよかったの?」

 一度は危機に瀕していた《いのち》が、赤々と激しく燃え盛っていることを雅実は感じていたが、昌行は果たし得なかったことを恥じていた。そんな昌行を雅実は抱き止めていた。

 「いいんだよ、私はとっても満足だったよ。うれしかった。そうしてもらうだけが目的じゃないもん。女って、繊細なんだよ」

 2人はやがて眠りに落ちていった。しかしながら昌行は、誕生日に様々な出来事が重なったことで、この後何年も、3月が近づくと心身に不調を来すようになってしまったのだ。つまりそれは、自分が生を受けたことで、この未曾有の惨事が起きてしまったという、一種の回路ができてしまったことを意味している。昌行がこうした不調に気づくのには、数か月を要したのだった。

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今回は以上といたします。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!